はじめまして。真昼の深夜と申します。真昼に深夜ラジオをタイムフリーで聞いているということから名付けた、いわばラジオネームのようなものです。このウェブサイト『あの日の交差点』を運営しています。
このウェブサイトでは、いろんな方にお願いしてエッセイや連載、小説などを掲載していこうと思っています。そして、ウェブサイト『あの日の交差点』はPodcast番組『あの日の交差点』と連動する形ではじめます。
まずは、ウェブサイトおよびPodcastを用いて『あの日の交差点』では何をやりたいのか、なぜこのようなものをやりたいと考えているのかについて説明させてください。
https://open.spotify.com/show/3x0uurSC31NONtpkyQRgvF?si=e146b0a6d35b4295
私は、2021年の2月に、半ば衝動的にPodcast番組『あの日の交差点』を立ち上げました。
それは、大学1年生の春休みを迎えていた頃でした。実家から電車で2時間半程度のところにある大学に実家からリモート(オンデマンド)授業で通っており、そこに待っていたのは、ほぼ全てのしがらみから解放される一方で、友達ができないのはもちろん帰属意識を感じない空虚な時間を過ごすことになる、いわば解放区と監獄が秒単位で切り替わる世界でした。そんな世界に放り出されて、大学に入学してから過ごしてきた日々と現在進行形で進んでゆく日々と、そして、これからの日々に、とにかく絶望していました。
大学に入ってから生きている実感がない。
コロナ禍によって世界との接続感が失われ、友達も、知り合いもできないまま一年が過ぎ去った中で(それは今でもあまり変わっていない)、嫌でも「生きること」そして「自分自身のこと」を直視せずにはいられませんでした。いや、むしろそれくらいしか考えることがなかったのかもしれません。しかし、友人と繁華街へ遊びに出かけたり、ゲームセンターやカラオケは愚か、ご飯を食べに行くこともほとんどなかった僕の生活のうち、 コロナ禍で変化したことなどそれほどないはずなのです。いつも散歩していた道は変わらずそこにあるし、聞いていた音楽やラジオ、見ていた映画も変わらずにそこにある。しかし、確実に世界は変わって見えました。(あって無いような)コミュニティとの接続が断たれ、不本意にも足場が崩れ去り、世界との接続間を失った。いや、失ったような気がした。
今から思い返すと、実感以上に何も変わらないこの世界に居場所を失った自分は、この頃から「そもそも何を居場所にしていたのか?」「居場所とは一体何か?」「世界との接続感とは何か?」ということを無意識的に考え始めていたのかもしれません。そして、世界との接続感が失われた(ように感じた)ことで、それ以前より生きづらさが増したように感じます。
この生きづらさは一体どこからきているのか。このつらい世の中のどこに希望を見出し、自分はどう生きたら良いのか。今もなお、この問いに直面しています。
つらさとは往々にして、自分が作り出しているものであり、世界の側よりむしろ、自分の世界の見方に原因があるのです。ならば、世界を読み替えることで生きづらさから脱却したい。