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大学生のまひる(真昼の深夜) が日常的に考えていることや悩んでいることを、映画や本、音楽などからヒントを得ながら”現在地”として残してゆく不定期連載『よどむ現在地 』。第21回は、映画『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』と乃木坂46の『10th YEAR BIRTHDAY LIVE』を通して、サプライズとの向き合い方を考えます。

マルチバースというサプライズ


劇場を背に、心だけ座席に置いてきてしまったような気がした。

GWの唯一の予定だった『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス(以下、MoM)』を見終えた私は、なぜか心と体が落ち込んでいた。しかし、一体何に落ち込んでいるのかがわからない。心と体が不一致で、まるで感情がなくなったかのようだった。

https://www.youtube.com/watch?v=NRAvR9N27O8

この事実は自分にとって大きなショックだった。好きなキャラクターで待ちに待った新作が出て、きっと「おもしろい」のに、なぜか自分は楽しめていない。この事実は私を、これまでのMCU フェーズ4を、これからのMCUをどう楽しめば良いのかという態度への省察へと向けた。 自分がMCUに求めるものは何か。それは見たこともない世界に連れて行ってくれることだ。特にそれはアクションやガジェットの進化への期待だった。その意味では、フェーズ3まで期待が高かったキャラクターは、アイアンマン、ドクター・ストレンジ、ブラックパンサーだった。アイアンマンがガジェットの進化のわくわくを担っていたし、それはスパイダーマンにも引き継がれつつある。ドクター・ストレンジは魔術を使うこととそのエフェクトの多様さが期待されたが、今年公開された『MoM』である程度、そのアクション描写は頭打ちかもしれないと思った。そして、ブラックパンサー。このキャラクター及びワカンダへの期待はまだまだ続いており、それゆえに『BLACK PANTHER: WAKANDA FOEVER(原題)』をとても楽しみにしている。

フェーズ4に入ってから物語が一体どこに向かっているのかというのがわからない。むろん、これは批判ではない。作り手側もきっとそういうものとして作っているからだ。大きなサーガ(フェーズ1〜フェーズ3は”インフィニティ・サーガ”として位置付けられている。)が終わって、その影響をしっかりと描くことと新しい物語への準備をじっくりと進めている。2021年からDisney+が本格始動したことによってドラマシリーズと映画でほぼ常にMCUの新作に触れているのが現状だ。それに伴って、MCUの世界への新鮮味が薄れてきている。そして、『MoM』の一件もあって、いま、まさにMCUとどう向き合えば良いか(どう楽しめば良いか)を試されているような気がするのだ。

フェーズ3までは少なくとも物語としての推進力が大きくあった。インフィニティストーンの存在が少しずつ明らかになってゆくと共に、サノスというヴィランの影も少しずつ濃くなってゆく。心地よい謎といつか来る強敵の予感は物語に大きな推進力を与えていた。しかし、インフィニティ・ストーンとサノスをめぐる大きな物語はフェーズ3で一旦終了し、次の物語が始まったいま、そのようなどこか大きなものに収斂してゆくような物語の推進力はない。そして、期待もしていない。この「期待もしていない」というのが重要な気がする。もちろんこれは批判ではない。そういう態度だということだ。フェーズ3まで(インフィニティ・サーガ)でさえ、後半になってその向かう先が見えたはずだ。アベンジャーズのようなクロスオーヴァー作品さえ見えない今の状況は少しもどかしいが、物語を仕切り直している現代段階では大きなものに収斂してゆく物語の推進力は生まれなくて当然といえば当然である。

**フェーズ3までの圧倒的なクロスオーヴァーと物語の推進力に身体が慣れきってしまっているからフェーズ4にも同じ態度で望もうとしていたのではないか。**クロスオーヴァーとそれに伴う物語の推進力は快楽的なのだ。とても。フェーズ4から一旦そうい快楽性が薄まることに製作者は自覚的であったと思う。だからこそ、マルチバースという概念を劇薬、ドーピング的に導入して、興奮を持続させようとしたのだ。

https://www.youtube.com/watch?v=-XT5bbq6CU4